はじめに:どこか息苦しさを感じている人へ
「努力すれば報われる」「情熱を持って働け」「幸せにならなければいけない」
私たちは日々、こうしたポジティブで「正論」に見える言葉に囲まれて生きている。
そんな言葉に触れるたび、どこか息苦しさや、自分への物足りなさを感じてはいないだろうか?
本書によれば、こうした無意識に私たちの思考や感情を侵食する「見えない力」の正体は、他でもない”呪い”だ。
現代はSNSの発達により、この”呪い”がかつてないスピードで拡散される。
誰もが無自覚のまま、良かれと思ってお互いを呪い合う。
書籍の基本情報
| タイトル | : | 社会は、静かにあなたを「呪う」 ~思考と感情を侵食する“見えない力”の正体~ |
| 発行日 | : | 2025年8月31日 初版第1刷発行 2025年8月26日 電子書籍版発行 |
| 著者 | : | 鈴木 祐 |
| 発行所 | : | 小学館 |
| 詳細 | : | 社会は、静かにあなたを「呪う」 ~思考と感情を侵食する“見えない力”の正体~ (小学館クリエイティブ) |
本書は、私たちが無意識のうちに受け入れている「ポジティブで正論に見える言葉」を“呪い”として再定義し、そこから自由になるための思考法を提示する。
主要なポイント・学び
なぜ呪いで人は死ぬのか?
ハーバード大学の生理学者ウォルター・キャノンは、「ヴ―ドゥー・デス」と題した論文で次のような仮説を立てた。
「呪いは、恐怖による心臓の過負荷で死をもたらす」
今では様々な研究によって、キャノンの推測の正しさはほぼ実証されつつある。
私たちは、”呪い”の影響を受けやすい
人類の祖先は、敵や毒といったネガティブな情報を記憶できる者ほど命をつなぐことができた。
この進化の過程で生まれた生存本能は、私たちの注意を危険な情報へと素早く向けさせる。
そのため、絶望を語る人の意見ほど強い影響力を持ちやすい。
悲惨なニュースほど拡散されやすいのは、人々の関心に応えた結果だ。
私たちは、ネガティブな情報を過大に評価する
絶望の呪いが力を持ちやすい理由がもうひとつある。
人間には「大きい問題が減ると、脳は小さい問題を大きいものとして扱う」という心理的傾向が存在する。
たとえば、凶悪な犯罪が減れば、以前は軽微な違反だった行為が大罪に思えてくる。
呪い「幸せにならなければ、生きる意味はない」
幸福には、追いかけすぎると逆に不幸感が強まるという逆説的な性質がある。
その理由は、2つある。
- 幸せへのこだわりが、現実の不満を強調する
- ネガティブを”悪”と考えはじめる
SNSで他人と自分の暮らしを比べる回数が多い人ほど不満や劣等感を強めてしまう。
それは他人を見て優越感を抱いたときも同じだ。
他者を通して抱いた自信はもろく、結果的には幸福感を下げることになる。
慢性的な他者との比較は、いかなる形でも幸福度を下げてしまうことが多い。
幸せを願う人は、悲しみ、怒り、退屈などの、喜びのない状態を「機会損失」として捉えてしまう。
そのため、幸せを求めない人よりも幸福感を失いやすい。
自分が望む感情と現実にずれがない状態を心理学では自己一致と呼ぶ。
自己一致の積み重ねによって「自分で自分の人生を選んでいる」という感覚が生まれ、幸福感につながる。
逆に現実と内面の不一致が大きいと、フラストレーションや不適応につながる。
たとえば、 「人は失敗するものだ」という前提を持っていれば、実際に失敗したときも自己一致を保ちやすい。
しかし、失敗を「悪」とみなすと自己不一致が生じ、強い挫折感や自己否定につながりやすい。
ネガティブな感情だとしても、それが自分の本心である限り悪ではない。
偽りのポジティブはネガティブな効果しか生まない
ポジティブ感情は幸福やストレス耐性に役立つが、無理に作る「偽りのポジティブ」は逆効果になることがある。
脳が一時的に満足してしまったり、現実とのギャップから否定的な気持ちが強まる場合がある。
特にネガティブ傾向が強い人にとっては、無理なポジティブは自分を偽ることにつながりやすい。
ネガティブな感情をじっくり味わう
幸福を追えば現実への不満が募る。
前向きを目指せば自己の本性と齟齬が出る。
では、どうすればいいか?
「ネガティブな感情を堪能する」
心理学では、ネガティブな感情を抑え込むと逆に強まる傾向があるとされる。
ネガティブな感情を感じたら、抑えるのではなく「いま何を感じているのか」をじっくり観察してみよう。
たとえば――
ラベリングすることで、最初は不快だった感情がやがて味わい深さに変わる。
「自分の人生を生きている」という実感が生まれるはずだ。
呪い「競争から降りて楽に生きよう」
人生は競争だらけだ。
資本主義の社会では、競争に勝った少数の人間に大半の利益が流れ込み、それ以外の者は搾取され続ける。
これが競争批判の典型的な考えだが、私たちは競争から逃れることはできるのだろうか?
競争に関する根本的な事実を押さえておこう。
- 競争を避けるためには、はじめに競争をするのが最善である。
- 競争するには、はじめに競争を避けるのが最善である。
競争が意味するものは、単なる勝ち負けにとどまらない。
競争は私たちの能力や強みを周りに伝える手段となる。
学歴や難しい資格取得などの間接的に能力を伝える手段は、競争に挑戦した者でなければ得ることはできない。
あなたが孤独に「私には優れた能力があります」と叫ぶだけでは、いつまでたってもチャンスは得られない。
他者と競い合うことは、自らの得意と不得意を把握することにつながる。
競争を避けるという戦略を選ぶためには、そもそも自分が何から逃げたいのかを把握できていなければならない。
何から逃げるべきかを知るためには、一度争いの場に立ってみるしかない。
競争から降りても、いずれ海は血に染まる
欧州経営大学院のレネ・モボルニョは、「ブルーオーシャン戦略」という理論を提唱した。
ライバルがひしめく海で漁をすると、必ず奪い合いが起き、やがて全員が消耗してしまう。
これを避けるためには、まだ誰も手をつけていない漁場を探し、そこに釣り糸を垂らすしかない。
競争が激しい市場を避けて、戦わずして勝てそうな場所を探すのがブルーオーシャン戦略の要諦だ。
しかし、ブルーオーシャンは長くても5年、たいていは1年ほどで効果が失われることが複数の事例からわかっている。
首尾よく平和な漁場を見つけたとしても、すぐに噂を聞きつけた漁船が押し寄せる。
ブルーオーシャンは、遅かれ早かれ血に染まる運命にある。
競争をさけるために競争し、競争するために競争を避ける。
この一見矛盾した態度こそが、あなたに消耗戦の泥沼を抜け出すヒントを与えてくれる。
見えないコストを意識すれば、居場所が見つかる
誰かと競争しなければならないとき、私たちは自分が最も得意なことで戦おうとする。
しかし、経済学の視点からすれば、この発想だけでは行き詰る可能性が高い。
なぜなら、私たちの選択には必ず「見えないコスト」があるからだ。
「見えないコスト」とは、ある選択をしたときに失われる別の選択肢の利益(機会費用)のことだ。
たとえば、時間は典型的な「見えないコスト」だ。
残業をすれば収入は増えるが、家族との時間や自己投資の時間を失う。
資格勉強をすればスキルは上がるが、趣味や休息の時間が減る。
このように、何かを選ぶたびに「別の何かを失っている」。
経済学では、「何をやるべきか」は「得意かどうか」ではなく「どの選択が一番損が少ないか」で決まる。
この考えは、「比較優位」の理屈に近い。
比較優位とは、絶対的な能力ではなく「機会費用の低さ」で役割が決まるという考え方だ。
たとえば、次のAさんとBさんの仕事の分担で考えてみよう。
この場合、Aさんは掃除を担当したほうが「機会費用が低い」。
Bさんが掃除をするとストレスが大きく、時間もかかる。
そして、なにより掃除をすると料理の時間が奪われるからだ。
Aさんは「全部苦手」でも「掃除はBさんがやるよりマシ」という比較優位があるため、役割が生まれる。
ここで重要なのは、Aさんが掃除を得意だという意味ではなく、Bさんが掃除をするともっと損が大きいという点だ。
このように、たとえ誰かがすべての分野で他人より劣っていても、相対的に損が少ない分野では必ず役割を持てる。
つまり、社会には「誰にでも居場所がある」ということだ。
社会の中で生きる限り、他者との争いは避けられない。
それならば、できるだけ自分がやると損が少ない場所を探すことに力を注ぐ方が賢明だ。
呪い「情熱のない人生は、無に等しい」
情熱は過大評価されている。
スティーブ・ジョブズは「情熱がなければ生き残れない」と語った。
実際、情熱のある人ほど仕事や趣味でポジティブな感情を得やすく、自己効力感も高いことが複数の研究で示されている。
しかし近年では、「情熱は過大評価されている」という指摘が増えている。
情熱にはメリットだけでなく、次のような“落とし穴”があることがわかってきた。
- 長期的な生産性を下げる
- 情熱が強くなるほど、逆境に弱くなる
- 自分を見る目を曇らせる
情熱の副作用1 情熱は、長期的に仕事の生産性を下げる。
情熱は、一時的には生産性を高めてくれる。
強い情熱を感じた日は、エネルギーが湧き、普段よりもペースを上げてタスクを片づけられる。
しかし、その反動で心身のリソースを早く使い切ってしまう。
脳内のワークライフバランスが崩れ、疲労が回復しにくくなる。
その結果、翌日にはやる気が落ちてしまう。
情熱には、いわばモチベーションの前借りのような側面がある。
情熱の副作用2 「情熱」が強くなるほど、逆境に弱くなる。
情熱には、メンタルを弱くする副作用がある。
仕事に強い情熱を持つ人は、「私の価値は仕事で決まる」という感覚が生まれやすい。
すると、自己と仕事を切り離せなくなる。
人生にトラブルはつきものだ。
仕事とアイデンティティを結びつけている人ほど、失敗したときに自分の存在意義まで揺らいでしまう。
情熱の副作用3 情熱的な人は自分を見る目が曇る。
ハーバード大学の研究では、次の事実が示されている。
- 仕事に情熱を注ぐ人は、上司や同僚からの評判がいい
- 情熱が強い人ほど「自分は仕事ができる」と考えやすい
しかし実際には、情熱が強い人ほどパフォーマンスが低い傾向があった。
情熱は「努力しているように見える」ため、周囲の評価が上がりやすい。
その結果、根拠のない自信が生まれてしまう。
自己肯定感が高いこと自体は悪くない。
だが、実力が伴わなければ長期的な失敗は避けられない。
情熱を追い求めると、人生の可能性が狭まる
情熱が持つ副作用を回避しながらメリットをうまく使いこなす方法はある。
情熱には、2種類ある。
成長的情熱を持つ人は、最初は興味がわかなくても「続けていれば面白くなるかもしれない」」と考えるため、挑戦の幅が広がる。
一方、固定的情熱を信じる人は、情熱は自分の中に完成した形で存在すると考える。
そのため、少しでも退屈を感じると「これは違う」と判断し、可能性を狭めてしまう。
情熱は、見つけるものではなく、育てるものだ。
「好きなこと」よりも「大事なこと」
情熱を正しく機能させるには、「好きなこと」よりも「大事なこと」を重視することが重要だ。
近年のキャリア研究では、仕事への向き合い方を大きく2つに分けて考えることがある。
多くの研究が示すのは、長期的に安定した成果を出しやすいのは必然派のほうだという点だ。
どんな仕事でも、ゴールにたどり着くまでには必ず問題が発生する。
「好きだから」という理由だけで仕事に取り組んでいると、困難に直面したときにモチベーションが落ちやすい。
一方で「大事なこと」に基づいて働く人は、「問題を乗り越えることで目標に近づける」と考えるため、逆境に強い。
一時的な感情に左右されにくい「大事なもの」は、困難の中で自分を支える基盤になる。
「情熱を持てているか?」と自問するより、目の前の役割を着実にこなすほうが長期的には安定する。
そもそも「情熱を追求せよ」という考え方は、歴史的に新しい。
人類史の大半において、仕事とは生きるための手段であり、情熱とは無縁だった。
「好き」や「熱意」が仕事と結びつくようになったのは、第二次大戦後に個人の自由を重視する価値観が広まってからだ。
だから、あなたが何かに夢中になれなかったとしても、不思議ではない。
呪い「人生は遺伝で決まる」
遺伝が私たちの能力や資質に影響するのは事実だ。
ある大規模な双生児研究によれば、遺伝率は次のように言われている。
「人生は遺伝で決まる」が事実なら、私たちに自由意志は存在しないことになる。
そもそも遺伝率とは何か?
遺伝率とは、「ある集団内で観察されるばらつきのうち、どのくらいの割合を遺伝で説明できるか」だ。
これは、あなたの能力や資質がどれだけ遺伝に由来するかを表すわけではない。
カフェオレの味の濃さが、「コーヒー」と「ミルク」のどちらか一方が原因で決まるわけではない。
カフェオレの濃さは「コーヒー + ミルク」のバランスで決まる。
遺伝率というのは、コーヒーの量もミルクの量も違うカフェオレが並んでいるときに、「濃さの違いが、どれくらいコーヒーの量で説明できるか」を表す数字にすぎない。
つまり遺伝率は、個人の能力や資質が「遺伝」と「環境」のどちらが原因かを示す数字ではない。
その時代や環境にいる人たち全体を見たときに、「個人差が、どれくらい遺伝で説明できるか」を示した数値ということだ。
たとえば、IQは裕福な地域ほど高くなりやすく、逆に貧困層が多い地域ほど低くなりやすい。
ヴァージニア大学などの研究では、次のような結論を出している。
遺伝率に約60%もの違いが出た理由は、貧しい地域には良質な学校や塾が少ないためだ。
環境が整っているほど、遺伝の影響が強く見える。
貧しい地域では、知性に与える環境要因が強すぎて遺伝の影響が見えにくくなる。
そのため、遺伝率は低く出る。
遺伝率とは、条件によって簡単に数値が変動する相対的な指標なのだ。
私たちの「特性」や「能力」を判断するために遺伝率を使ったところで意味はない。
遺伝子は運命ではない
遺伝子の働き方(発現)は、特定の行動で変わる。
自分が望む性格に沿った行動を繰り返すことにより、私たちのパーソナリティは変わる。
外向的な性格になりたければ、「初対面の人にあいさつする」「集まりに積極的に参加する」といった外向的な人がしそうな行動を取る。
努力する能力を伸ばしたければ、努力する人がしそうな行動を繰り返す。
行動を起こせば起こすほど、人は変わる。
遺伝の呪いと、どうつきあうか?
「人生は遺伝で決まる」という呪いは、あなたの能力を実際より下げる方向に働く。
教育心理学者のロバート・ローゼンタールは、「ゴーレム効果」という概念を提唱した。
「ゴーレム効果」とは、周囲や本人が自分についてネガティブな見解を持つことで、実際に能力やパフォーマンスが下がってしまう現象のことだ。
カルフォルニア大学の研究チームは、「教師の期待によって生徒の成績がどう変わるのか」を調べた。
調査のスタート時は全員の知能に差が無くても、教師から「能力が低い」とみなされた生徒は定期テストの成績が23%も悪かった。
能力が低いとみなされた生徒は、教師から不平等な扱いを受ける傾向にあった。
そのため、「自分は駄目だ」という認識が深まり、勉強の意欲を失っていった。
他人の期待が、呪いに変わり、現実の行動に悪影響を及ぼし、人生の可能性を狭めてしまう。
「すべては遺伝だから、諦めるしかない」
そんな考え方に取り憑かれたら、遺伝の指示を実行するだけの生き方しかできなくなる。
遺伝率を見ても、あなたが何をどれだけ努力できるのか判断できない。
つまり遺伝率は、生き方の参考になるような情報を何も与えてくれないのだ。
なぜ人は人を呪うのか?
呪いの発生原因がわかっても、その影響から逃れるのは難しい。
しかし、危ない人物やメディアを避けるための参考にはなるだろう。
複数の研究によれば、”呪い”を和らげる方法論にはひとつの共通点がある。
「物語を複雑にする」
たとえば、友人から急に連絡が来なくなった場合、「きっと自分を嫌いになったのだ」と考えれば、物語を単純化したことになる。
しかし、「仕事が忙しくて余裕がないのかもしれない」「自分のことで精一杯な状況なのかもしれない」などと複数の仮説を思いついたら、物語を複雑化したことになる。
これは、心理学の「認知の複雑性」と呼ばれ、「物事を多面的に解釈する能力」を意味する。
私たちの脳は、真偽の怪しい情報にもすぐに”確信”を抱いてしまう。
世の中に出回る「残酷な真実」や「成功の法則」とされる主張の多くは、一面的な解釈や誇張によるものだ。
“確信”にもとづいて判断を行っていたら、”呪い”にかかる確率は上がるばかりだ。
しかし、物語を複雑化できる人は、目の前の問題の背後にある構造を多様な視点で探ろうとする。
この能力を養うためには、自分が抱いた”確信”を普段から意識して減らすトレーニングをするといい。
確証バイアスといって、人は自分の信念を補強する情報ばかり集めてしまう。
しかし、そうではなく自分の”確信”とは真逆の情報を集めることで生まれる居心地の悪さをしっかりと味わうのが基本だ。
私たちは不確実性を嫌い、不安から逃れるために”呪い”にすがる。
この状態を脱するには、常に”どっちつかず”を保ち続けるしかないだろう。
「物語を複雑にする」という基本を忘れなければ、あなたは益のない”呪い合い”から距離を置いて生きられるはずだ。
まとめ
感情の呪いを解く:「今の不快感」を否定していないか?
「幸せにならなければ」という呪縛を捨てる。
幸せを強く願いすぎると、現実の不満が強調され、逆に幸福感が失われる。
「偽りのポジティブ」は、脳に否定的な影響を与えることがある。
ネガティブな感情を「堪能」する。
不快な感情を抑え込むのではなく、「いま何を感じているか」をじっくり観察(ラベリング)することを推奨する。
形や色、強さを点数化して客観視することで、それは「自分の人生を生きている実感」へと変わる。
社会の呪いを解く:「居場所がない」と絶望していないか?
「比較優位」で自分の役割を見つける。
「自分はすべてにおいて他人より劣っている」と感じても、経済学の「比較優位」の視点に立てば、必ず役割が見つかる。
「得意かどうか」ではなく「自分がやるのが一番損(機会費用)が少ないのはどれか」を考えれば、社会に誰にでも居場所があることが分かる。
競争を「自分を知る手段」に変える。
競争は単なる勝ち負けではなく、自分の強みを周囲に伝え、自らの得意・不得意を把握するための手段となる。
一度戦いの場に立つことで、初めて「自分が何から逃げたいのか」という戦略的な判断が可能になる。
能力の呪いを解く:「自分はこういう人間だ」と決めつけていないか?
情熱は「見つけるもの」ではなく「育てるもの」。
「自分の中に眠る情熱を見つけなければ」という固定的情熱は、可能性を狭める。
それよりも、大事な価値観に基づき、目の前の役割を淡々とこなす「必然派」の姿勢を持つほうが、長期的には安定した成果と深い情熱に繋がる。
「遺伝」という運命の予言を跳ね返す。
「人生は遺伝で決まる」という思い込みは、実際に能力を低下させる「ゴーレム効果」を招く。
遺伝子の働き(発現)は特定の行動を繰り返すことで変えられるため、「なりたい自分ならどう行動するか」を実践し続けることが、自分を書き換える唯一の道となる。
思考の呪いを解く:その「確信」は真実か?
物語を「複雑」にする。
呪いから逃れるための共通解は、「認知の複雑性」を高めることだ。
「嫌われたに違いない」「もう終わりだ」といった単純な物語に飛びつかず、「別の理由があるかもしれない」と複数の仮説を持とう。
あえて「どっちつかず」を保つ。
自分の信念を補強する情報ばかり集める「確証バイアス」を避け、あえて逆の情報を集めて「居心地の悪さ」を味わう。
安易な正解(確信)に逃げず、不確実な状態に耐え続けることが、呪いに対する最強の防御となる。
感想
様々な成功者のビジネス書を読むことで、私はある悩みを抱えていた。
それは、「現状に強い不満を持つようになってしまった」ということだ。
本を読めば読むほど、「成功しなければ」「幸せにならなければ」という思いが強くなる。
私は、いつしか喜びのない状態を「機会損失」として捉えるようになっていた。
しかし、それでは、いつまでたっても幸福になどなれるわけがない。
幸せを強く追い求めると、かえって不幸を招く。
この逆説的な現象「幸福のパラドックス」のことは私も知ってはいたが、何故だか「自分は大丈夫」と思っていた。
ちなみに、私がそう思っていた理由についても「他人事効果」として本書は気づかせてくれた。
“呪い”とは、恐ろしいものだ。
とはいえ、気づきがあったくらいで”呪い”が解けるわけではない。
それが、”呪い”が”呪い”足る所以なのだろう。
“呪い”が完全に悪いものとも言い切れない。
この呪いがあるからこそ、私はある意味で向上心を持って色々と挑戦できていた側面がある。
良い結果を引き寄せる「おまじない」も、悪い結果をもたらす「呪詛」も結局は同じ「呪」だ。
本書が提示した”呪い”とのつきあい方としての「どっちつかず」は、究極の技術として納得のいくものだった。






