はじめに:「思考が浅いまま話が終わってしまう」と感じる人へ
会議では誰もが「正しい答え」を持ち寄る。
でも、なぜか話がかみ合わず、結局”何も変わらない”まま終わってしまうーー。
そんな経験はありませんか?
情報が溢れ、誰もが「それっぽい答え」にたどり着ける時代。
本当に求められているのは「表面的な正解を超えて”問い続ける力”」。
答えを出すスキルより、問いを深める姿勢こそが、本質的な思考や対話を生み出すカギになる。
今回は、ダイヤモンド社から出版された『QUEST「質問」の哲学 「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす』(著者:エルケ・ヴィス)を読み、ソクラテス式問答法に学ぶ”問いの技術”についてをご紹介します。
書籍の基本情報
タイトル | : | QUEST「質問」の哲学 「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす |
発行日 | : | 2025年3月25日 プリント版第1刷発行 2025年3月25日 電子版発行 |
著者 | : | エルケ・ヴィス (著), 児島 修 (翻訳) |
発行所 | : | ダイヤモンド社 |
詳細 | : | QUEST「質問」の哲学――「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす |
主要なポイント・学び
私たちが尋ねる質問の多くは、実は質問ではない。
たいていの場合、それは質問を装った、自分の意見や仮説の表明に過ぎない。
質問の本来の目的は、自分の意見を押し付けようとすることではない。
相手に注意を向け、話に耳を傾け、理解することだ。
そのための方法は、古代ギリシアの哲学者であるソクラテスの対話法をもとに編み出された「ソクラテス式問答法」として学ぶことができる。
ソクラテスは質問をすることで、相手に自らの決定や行動の正当性、現在の意見を得るに至った理由を説明する機会を与えた。
私たちは、本当の意味での「良い質問」をするために学ぶべきことがたくさんある。
なぜ人は質問をするのが苦手なのか
私たちが質問ができない理由を理解すれば、典型的な質問の失敗を避けやすくなる。
良い質問ができない理由は、6つある。
- 自分の話をしたがる
- 尋ねるのが怖い
- 良い印象を与えたい
- 客観性が欠けている
- 忍耐力がない
- 方法を知らない
自分の話をしたがる
自分語りは快感(ドーパミン)をもたらし、無意識に相手の話を遮ってしまう。
相手が話している間、自分が言うことを考えていて話を半分しか聞いていない。
会話中に相手が問題を抱えていることがわかると、相手が置かれている状況を詳しく探ろうとはせず、アドバイスすることで幸福感や自尊心を高めようとする。
尋ねるのが怖い
死や病気などの辛い出来事を体験すると、それらは触れたくないテーマになる。
自分の不快感や辛さを基準にして、相手にも質問しなくなってしまう。
また意見の違いがあると、拒絶されるかもしれない恐怖から質問をせず妥協しようとする。
ときに良い質問は相手が答えにくいことを突きつけて会話に緊張をもたらすことがある。
私たちは、そうなるくらいなら「良い質問をしない方がいい」という文化をつくり上げている。
良い印象を与えたい
私たちは、「知らないこと」と「愚かであること」をすぐに結びつけようとする。
「知らない」ことを隠そうとし、有能に見せようとするあまり質問を控える。
客観性が欠けている
人は誰もが自分の中にある正しさに固執する。
お互いに異なる意見を持つ場合「どうせわかり合えない」と諦めてしまう。
客観性が欠けているため、相手に関心を持ち、相手の話を丁寧に聞くことができない。
忍耐力がない
狩猟採取の時代、生き延びるために何かを改めてじっくり問うことは不要だった。
人間の脳は、重要な問題を探求することよりも反射的に判断し直接的に行動しようとする。
誰もが、できるだけ早く先に進みたいという衝動に駆られて結論や答えをすぐに求めてしまう。
方法を知らない
良い質問の仕方を学んでいない。
子どもは、柔軟に考え、探求心をもち、検証し、答えを導き出す能力を自然に身につけている。
しかし、社会は創造性や思考力よりも知識を重視する。
現代の教育現場では探究心や哲学的思考が軽視されるため、その能力は失われてしまう。
ソクラテス的態度と良い質問のための心得
ソクラテスのモットーは、「私は何も知らないことを知っている」だ。
自分は正しい答えを知っていると思い込んだり、都合の良い仮定をすることは、真の知識への妨げになると考えていた。
ソクラテス的態度とは「自分は何も知らない」ことを前提とする、謙虚で探究的な姿勢。
質問の目的は「正しさを証明すること」ではなく、真理や理解を深めることにある。
良い質問をするためには、ソクラテス的態度を身につけることが基礎となる。
ここでは、そのための心得を説明する。
思考の観察と自覚
自分が「何」を「どのように」考えているかを意識的に観察する。
自分の思考を知れば、よくあるパターンを認識し、コントロールすることができる。
自分の思考を観察する訓練をする場合、会話中に行うと相手に迷惑がかかるかもしれない。
そのため、第三者の会話(テレビやラジオ)を利用して練習するのがおすすめ。
不思議の感覚と好奇心
ソクラテスは「哲学は不思議の感覚から始まる」と言っていた。
ソクラテス的態度には、物事に対する「なぜ?」という感覚(wonder)が大切。
相手を「その道の専門家」と見なし、心から「知りたい」と思う姿勢を持つことが重要。
好奇心を持ち続けよう。
相手が何を考え、どんな経験をし、どんな世界観をもっているのかに関心を抱くのだ。
質問には勇気が必要
本質的な質問には、相手を不快にさせたり気まずい雰囲気を生むリスクもある。
しかし、それを恐れず聞く勇気が必要。
デリケートな質問は、深いつながりと理解を生むきっかけになる。
ソクラテス的態度を身につけるためには、リスクを受け入れる意欲を養うことが欠かせない。
判断を急がず、ただ観察する
私たちは、観察に基づいた判断を下しながら同時に非難をしていることが多い。
(例:「ああ、○○はだらしないなぁ!」)
ソクラテス的態度を身につけるとは、判断と非難を切り離すことだ。
私たちは、判断を急ぎ過ぎて不完全な情報に基づいて意見を口にしてしまうことがある。
そして、その判断を補強しようと視野を狭くし、反対の証拠を無視しようとする。
私たちは、自分の判断が、無意識的な仮定や前提、偏見、人間観を土台にしたものであることに自覚的であろうと努めなければならない。
判断を急がず、状況をありのままに客観的に観察しよう。
出来事の解釈は、時間を置いてからその意味をじっくり考えれば変わるかもしれない。
できる限り客観的に判断し、必要であればすぐにそれを放棄できるようにするのだ。
共感よりも「中立的な問い」
共感は、他人を助け、世界を良い場所にするための力になることがある。
しかし研究によれば、私たちの共感にはある種のバイアスがかかる。
自分と似ている人、容姿端麗の人、幼い子どもなどに対してより強く感じる傾向があるのだ。
私たちは、共感の対象を選り好みしている。
実際には、共感力をオンにするよりもオフにした方が良い場合が多い。
良い質問をすることが目的の場合もそうだ。
「認知的共感」と「感情的共感」
イェール大学の心理学者ポール・ブルームは、共感を「認知的共感」と「感情的共感」に区別している。
感情的共感
感情的共感とは、他人の感情を自分のことのように感じることを指す。
感情的共感には問題点があり、客観的な判断能力に大きな影響が生じる。
例えば、医療従事者は患者と同じ感情を持つべきか?ブルームの答えはノーである。
外科医が感情的共感を抱けば、手術ができないほど動揺してしまいかねない。
認知的共感
認知的共感とは、他人の精神状態を推測し、その立場を想像してみることだ。
これは理性的な推論であり、社会的知性の賢い使い方である。
「共感的中立性」を保つ
共感的中立性とは、相手を助けたいという気持ちを持ちつつ、出来事を俯瞰し、感情にとらわれることなく相手の話を丁寧に理解しようとする姿勢である。
相手の感情に寄り添い過ぎると批判的な質問をすることができなくなる。
もし、共感からアドバイスしたい気持ちに駆られて実行すれば、相手の思考の流れを止めてしまう。
相手の感情や苦しみは、肯定も否定もせず認識する。
共感的中立性を保てば「相手が自力で深く掘り下げて考えるための質問」をすることができる。
これは注意深い傾聴とも密接に関連している。
状況によっては、それはあなたが相手に与えられる最大の贈りものになる。
ソクラテス式問答法の構造と実践
ソクラテス式問答法では、心を通わせながら、お互いの思考の流れを探っていく。
対話の目標は、知恵を得ること。
相手を説得しようとしたり自己弁護するための議論ではない。
ソクラテス式問答法には、ソクラテスが取っていたアプローチから拝借した一定の構造がある。
ソクラテス式問答法の構造
※前提:ソクラテス的態度を全過程で維持
- 哲学的問いを立て、参加者全員で共有
オープンな問いかけ(例:「正義とは何か?」)
- 具体的事例に焦点を当て議論開始
抽象的定義は後回し/「定義づけの罠」を避ける。
- 初期回答を参加者全員から引き出す
- 自分や相手の判断をいったん脇に置き、事例に即した観察に立ち返る
- エレンコス的質問(反論)→前提や矛盾を露呈→再考を促す
- (④→⑤→再回答)のサイクルを数度回し、問いを深化させる
新たな視点や疑問を重層的に積み上げる。
- 合意を目指す
「どこまで同意できるか」「何が同意できないか」を明確化。
無理矢理な結論を導くのではなく、共通理解の範囲を確認。
- アポリア(いくら考えても疑問が残る状態)でいったん終了
決定解を無理に出さず、「わからない」を共有。
- アポリアを次の探求の起点とする
生まれた疑問や未解決の前提を次回の対話に持ち越す。
定義づけの罠
一般的に議論の対象をしっかり定義してから議論を開始しようとすることは正しい。
しかしソクラテス式問答法の場合、まったく役に立たないことが多い。
概念は、具体的な事例に当てはめることで初めて意味を持つからだ。
定義づけの罠に陥り、抽象的な理論と格闘していると、それだけで数時間が過ぎる。
また、概念を定義しても議論開始のすぐに修正しなければならなくなるケースは少なくない。
ソクラテス式問答法では、最初に概念を定義しない。
エレンコス
エレンコスとは、ギリシア語の「恥をかかせる」「精査して見る」という言葉に由来する。
人の信念はアイデンティティと結びついていることが多い。
信念に疑問を投げかけることは、些細なものであっても癪に障る。
相手がフラストレーションを感じているように見えたら会話が有意義になり始めている兆候。
しかし、次から次へと質問することが相手に歓迎されるとは限らない。
相手にこう尋ねよう。
「会話を続けたい?それとも終わらせたい?」
相手が続けることに同意した場合は、ソクラテス的態度を貫き質問を続けよう。
アポリア
アポリアとは、いくら考えても疑問が残るような状態を指す。
ソクラテス的な対話は、往々にしてアポリアで終わる。
「なぜそうなのか?」
ソクラテス的問答法が導く答えは、すべてが問い続けるための招待状である。
会話の前は「理解している」と思えたことも、問われることで決定的な答えを知っているとは言えない感覚になることがある。
徹底的な探求によって「知らない」と自覚することで、以前より強力な基盤の上で物事を考えられるようになる。
アポリアは「良い質問をすること」の出発点になる。
質問の条件
ソクラテス的な探求を誰かと一緒に実行できる環境をつくるには、どうすればいいのだろうか?
質問の哲学を実践する前に、考慮しておかなければならないことがある。
聞き上手になることが出発点
良い質問は、まず相手の話を「どう聞くか」から始まる。
話を聞く姿勢は、大きく分けて3つある。
- 「私」視点:自分中心で、相手の話をすぐに評価・反論・アドバイスしがち。
- 「あなた」視点:相手中心で、好奇心をもって真剣に聴く。
- 「私たち」視点:対話全体を俯瞰して、メタ認知的に聞く。
良い質問をするためには、2つ目の姿勢の「あなた」視点が重要だ。
1つ目の姿勢の「私」視点で意見や考えを挟むことなく、相手の言いたいことを正確に理解する。
コツをつかめば、穏やかな気持ちでコミュニケーションできるようになる。
3つ目の姿勢の「私たち」視点は、言外の矛盾や論理の飛躍を発見するための豊かな土壌となる。
言葉を丁寧に観察する
ちょっとした言葉選びに本音が出るものだ。
言葉に敏感になることで、何が語られ、語られていないのか。
何が隠されているのか、どの言葉や概念が避けられているのか。
そういうことが聞き分けられるようになる。
これはシャーロック・ホームズが観察力や機能的推理力を駆使して、わずかな手がかりをもとに難事件を解決していくのと似ている。
私たちは相手の言葉を手がかりに、その人がどう思考を組み立てているのかを推理する。
そのために役立つ表層的リスニングという手法がある。
表層的リスニングとは、聞き手が話の表面的な情報だけを捉えるリスニングのスタイルである。
3つ目の姿勢「私たち」の視点で、相手が話す内容よりも、それがどう語られたかに注目する。
表層的リスニングを用いることで、想像力を抑えて相手の話に深く関われるようになる。
このテクニックは、相手に自身の思考を振り返ってもらいたいときに特に役に立つ。
これにより、言葉の背後にあるものを相手と一緒に探っていけるようになる。
許可を求める
世の中には、質問の集中砲火を浴びることが大嫌いな人が大勢いる。
ソクラテスは相手に「質問してもいいかどうか」を事前に確認していた。
鋭い質問をする前に相手が「ノー」と言う機会をもらっていると感じることが大切。
相手が積極的に関わってくれなければ議論は無意味となる。
質問の技法
質問をするための実用的なスキルを紹介する。
もちろん、ソクラテス的な態度と基本的な条件が基礎となる。
「上向き」と「下向き」の質問を使い分ける
哲学者ハンス・ボルテンは、ソクラテスの質問を「上向きの質問」と「下向きの質問」に区別した。
この上向き/下向きの区別を頭に入れておこう。
そうすれば、常に2つの方向を意識して質問することができる。
ソクラテス的な対話をするには、事実の正確な把握から始めるのが望ましい。
そのため、下向き → 上向きの順で進めるのが効果的だ。
相手は抽象的なレベルで話を進めたがるかもしれない。
それでも構わず下向きの質問をしよう。
そして、事実を具体的に把握できたら上向きの質問をしよう。
意見を言うタイミングと方法
まず相手の話を聞き、その考えを理解することに時間と労力と注意を投じる。
これは相手と自分の間に橋を架けるための基礎を両側に設置する行為だ。
橋の強度は基礎の強度に比例する。
基礎をしっかりと築くことができたら橋を架けて相手をこちら側に招待する。
そのための招待状は、質問という形を取ることが多い。
「私の考えを聞いてみない?」
そのように提案という形で自分の考えを伝えてみよう。
これは、自分の発言の許可を求める以上の大きな意味がある。
「相手に心を開き、他人の意見を受け入れること」を促しているのだ。
それまで相手は自分の意見を述べていた。
しかし、これをすることであなたの話を聞くために役割を切り替えることができる。
まとめ・感想
自分がなぜ質問をしないのか、その理由を理解することは大切だ。
おそれやエゴによって質問が阻まれていることを自覚すれば、心の中で変化を起こしやすくなる。
「ソクラテス的態度」とは、謙虚に「知らないこと」を受け入れ、相手と共に考える探究的な姿勢。
共感に流されず、判断を保留し、相手の言葉の背景を注意深く観察することで、思考を深める「良い質問」が生まれる。
これは単なる会話術ではなく、哲学的で誠実な対話への道である。
本書を読み、私は私を含めた周囲の環境が、曖昧な言葉で築かれていることに気づいた。
私たちは、あまりに多く様々なことをお互いに「わかったフリ」をしあっている。
それは自分という存在の不安定さでもある。
ソクラテス問答法には、そんな自分をより強固に再構築する力を感じる。
相手を深く理解するように、自分自身と対話することで自己理解を深める。
そうして曖昧な言葉を抜きに自分を語れるようになれば、それは強い自信となるだろう。
しかし、注意して欲しいと思う。
この世界はあまりに曖昧なものを曖昧なままにして成り立っている。
きっと、これは曖昧だからこそ保たれている状態。
一つひとつの要素が液体のように形を変えられるからこそ得られている安定。
もし、夢や幻にも強固な形を与えてしまえば流動性を失い世界は崩壊する。
そんな危うさが哲学にはある気がする。
ソクラテス問答法は、壊したくない関係性で使うのはあまりおすすめできない。
しかし「使うこと」と「知っていること」は別である。
「知っていること」で得られる利益も回避できる危機も人生にはあるだろう。
そして「使うこと」も、要はその場面さえ誤らなければいいだけだ。
いずれにしても知らなければ始まらない話。
まずは本書を読んでみて各々判断して欲しい。
大切なのは、探求に意欲的であることだ。