はじめに:どこか無理をしている不自然な人へ
あなたを苦しめるあらゆる問題は、偶然で起きているのではない。
一定の法則にしたがって正確に起きている。
その法則こそが、「自然の法則」。
苦しみの理由は、この法則を知らずに過ごしてきたからだ。
この法則さえ知っていれば、安心感の中で人生を送ることができるようになる。
書籍の基本情報
| タイトル | : | 自然の法則 人生が好転するニュートラルの魔法 |
| 発行日 | : | 2026年1月21日 |
| 著者 | : | Kengo |
| 発行所 | : | KADOKAWA |
| 詳細 | : | 自然の法則 人生が好転するニュートラルの魔法 |
主要なポイント・学び
自然の法則――何事も、向き合えば必ず終わる。
人は、何かイヤなことがあったとき、条件反射的にそのつらさを紛わそうとする。
しかし、また次のイヤなことが起きる。
例:
- 何かにチャレンジし、ガッカリする結果になった。
再チャレンジした結果、またガッカリすることになった。
- イライラしたから、気分転換した。
その結果、またイライラする出来事が起きた。
その理由は、感情を感じきっていないからだ。
自分の内側に残った感情を再び表に出すためにイヤな出来事が起きてしまう。
目の前の問題に対処することは大切だ。
しかし、感情を未消化のままでは、本当に解決したことにはならない。
では、どうすればいいのか。
本音と向き合えばいい。
本音とは、純粋な目的や意志のことである。
純粋な「したいこと」は、本音が持っている。
しかし、本音は普段感知できない無意識に含まれている。
無意識の中にあった本音は、まず純粋感情として「心」がキャッチする。
心がキャッチすることで、はじめて本音を意識することができる。
意識した「したいこと」は、次に「アタマ」が引き受ける。
アタマは「どのように実行しようか」を考え、現実化する。
そうして体験した結果、うれしい、悲しい、悔しいなどの感情を感じる。
感情をしっかりと感じきることで、体験は無意識の中に還っていく。
本音が主役の「自然なサイクル」:
- 自分の中心(本音)
↓ - 心(感情)
↓ - アタマ
↓ - 体験の舞台
↓ - 心(感情)
↓ - 自分の中心(本音)
心とアタマの共同作業によって、目に見えない本音は「外側の世界」に表現される。
このサイクルが完了するためには、結果に関わらず生まれた感情を感じ切らなければならない。
そうすることで、心の器が大きくなる。
「自然なサイクル」の中で生きるメリット:
- 欲望が減り、ムダな争いや不平不満なども減っていく
- 相手のよろこび、悲しみ、痛みなどに自然に寄り添える慈愛の心が育つ
この生き方を心がければ、誰でも人生を豊かに生きていくことができる。
人生は思い通りになっていく。
「理想的な自分」を目指すほど、人生は苦しくなる
人生が苦しい理由――私たちは人生の大半を、アタマを主役にしている。
「自然なサイクル」では、「本音」が主役だ。
アタマは、「こうしたい」という本音に協力する生き方でなければならない。
しかし、私たちのアタマは怖がりだ。
本音ではなく「こうしなければいけない」「こうなってはいけない」を優先する。
私たちは、アタマを主役にした「から騒ぎ劇場」の中で過ごしている。
「もしできなければ、自分の存在価値が失われてしまう……」
しかしそれでは、外側の世界は「できる/できない」という戦いの舞台になってしまう。
さらにアタマは、うまくいかなかった結果を素直に受け入れられない。
だから、不快な感情をまともに受けとることなく、次の行動に移ってしまう。
「次はこうしなければならない」
「こうしておけば後で困らない」
これでは「自然なサイクル」は完了しない。
その結果、アタマは終わらない戦いを幾重にも繰り返す。
- うまくいった場合:「これを継続しなければいけない」
- うまくいかなかった場合:「もっとちゃんとしなければいけない」
アタマは勝手に結果を期待する。
心はその期待につられて、できた、できなかったと「から騒ぎ」している。
つまり、私たちが普段感じている感情は「本音」を無視したものだ。
それは、純粋な感情ではなく、アタマがつくった擬似感情なのだ。
では、なぜ私たちは「から騒ぎ」をして過ごすのか。
その理由は、内側が満たされないためだ。
外側の刺激や反応で、生きている実感を得ようとしている。
痛いこと、苦しいことが起きれば、自分の存在を確認することができる。
しかし、擬似感情をどれだけ感じても、心が満たされることはない。
「表裏一体」の仕組み――「過去/未来」「昼/夜」「始まり/終わり」など…。
アタマは、もともと「ひとつ」のものを「ふたつ」に分けたがる。
自分の内側についてもだ。
「できる自分/できない自分」
「持っている自分/持っていない自分」
「正しい自分/間違っている自分」
しかし、コインは「表/裏」のどちらも「ある」ことで存在することができる。
どちらか一方だけを消すことはできない。
アタマは、「理想的な自分」にこだわる。
だが、それは自分の存在の半分を否定することにつながる。
「望ましくない自分」だけを消そうとすれば、存在は不安定になっていく。
だから「理想的な自分」を目指すほど、人生は苦しくなる。
人生を好転させる「Be-Do-Haveの法則」
Be-Do-Haveの法則――未来は、あなたの「あり方」次第だ。
- Be:動作前の「あり方」――存在、本音
- Do:動作中の「やり方」――行動、選択
- Have:動作後の「結果」――成果
自然の法則では、自分の中心にある「本音」からはじまる。
「Be-Do-Have」の流れは、次のようになることだ。
- Be:「やってみよう」(本音)
- Do:ふさわしい舞台、手段、協力者、知恵、ひらめき
- Have:うまくできた/できなかった
自然に湧いた、不安や恐れのない純粋な「やってみよう」(Be)からはじまる。
体験の舞台で「行動」(Do)し、その行動の「結果」(Have)が出る。
どんな結果でも、体験できたこと自体が成果となる。
仕方なくやったこととは違い、不安や恐れのない行動は充実感を生む。
感情を感じきることで心が満たされ、「あり方」(Be)へと戻っていく。
Have-Do-Be――結果から逆算すると、不安が繰り返される。
- Have:「こうなるためには」「困らないためには」(不安、恐怖、打算)
- Do:「こうしなければ」「これさえしておけば」(取引、建前)
- Be:「存在できる/できない」「価値がある/ない」(存在肯定/存在否定)
結果(Have)はじまると、行動(Do)は「取引、建前、交換条件、駆け引き」となる。
そのよし悪しは、自分の存在(Be)の価値に結びついてしまう。
不安をなくすために、自分の存在価値を証明し続けなければならなくなる。
しかし、うまくいっても、いかなくても、不安な状況が何度も繰り返されてしまう。
幸せになれない3つのタイプ:
- 自意識過剰――「できる」ことで自分を存在させようとする人。
自分は「弱い」「劣っている」という現実を素直に認められない。
「できないこと」に立ち向かい、克服しようとすることは、人生の醍醐味でもある。
しかし、過去の「できなかった」自分を存在否定したままでは、どれだけ努力をしたところで「できる/できない」の結果に振り回され続けてしまう。
どれだけ頑張っても不安が消えず、次の「できないこと」を目の前につくり出す。
そうして戦いは続いていく。
- 罪びと――「できなかった」「役に立たなかった」ことを「罪」や「恥」だと捉える人。
苦労することと引き換えに、自分の存在を許そうとする。
罪びとは、無意識のうちに苦労や不幸を目の前につくり出す。
「イヤな思いをすること」が、存在の条件だからだ。
しかし、罪滅ぼしは一生終わらない。
最終的には、「イヤな思い」を抱えながら人生を終えていく。
- ナルシスト――自分の見たくない部分を完全に忘れてしまう人。
過去の失敗がショックだったあまり、闇の部分を封印している。
「私は、あのような人とは違う」
相手の闇を他人事と捉えて、自分の内側にも「ある」ことを無視する。
自然の法則には、自分に「ある」からこそ、他人に映る「合わせ鏡」の仕組みがある。
だからこそ、Be-Do-Haveの順番でなければならない。
行動をはじめる前から、不安や恐怖にも寄り添い、感情を感じておくことが重要なのだ。
感情に気づくための「合わせ鏡」「お知らせ」
合わせ鏡――目の前にいる相手は、自分を映し出す鏡。
自分の状態や、共通のテーマ・課題を映し出している。
この世界には、「表裏一体」の仕組みがある。
たとえば、あなたが「まじめ」で、相手が「不まじめ」だったとしよう。
- あなたの「まじめ」は、裏で「不まじめ」が支えている
- 相手の「不まじめ」は、裏で「まじめ」が支えている
あなたが、相手の不まじめな部分にイラっとしたとき。
自分の「不まじめではダメ」という裏側を、相手を通じて見せられている。
それは、相手にも同じことがいえる。
相手が、あなたのまじめさを見てイラっとしたとき。
相手の「まじめなんてかっこ悪い」という裏側を、あなたを通じて見せられている。
裏と表を合わせたら、この世界のすべては「自分」になる。
あなたが何かを責めるとき、あなたは「自分責め」をしている。
「人の振り見て、我が振り直せ」ということわざがある。
しかし、すぐに直してはならない。
自分が責められたときの、悲しみ、悔しさ、みじめさ。
相手を責めたときの、憎しみ、妬み、理不尽さ。
衝突する人を見たときの、切なさ、恐怖、無力さ。
自分の内側の感情を、まずはしっかり感じなければならない。
なぜならそれは、過去に感じた辛い感情の再現だからだ。
「自分責め」をしてしまう理由は、「存在否定」だ。
「できること」が、存在の条件になってしまっている。
自分が自分に与えていた感情をごまかしてはいけない。
まずはしっかり受け止めよう。
お知らせ――すべてのトラブルは、あなたを救うために起きている。
それらは、さらなる大惨事を回避するための「お知らせ」として機能している。
「生きていればこういうこともある」
「今回は、不運だった」
そのように、不快な出来事を流してはいけない。
あなたの内側に、不自然なところがあるサインだからだ。
トラブルは、必ず段階的に起きる。
- レベル1:些細な不快感(痛み、モヤモヤ、イライラ、ヒヤリとする)
- レベル2:強い不快感(憤慨、大損、激しい痛み)
- レベル3:甚大な苦しみ(強制的なリセット)
不快な出来事の原因は、過去にスルーした感情のくすぶりにある。
その感情を開放するきっかけが自然と起きただけなのだ。
甚大な苦しみを回避したければ、レベル1やレベル2の段階で立ち止まることが重要である。
わき見運転をしながら過ごしていては、大事故が起こっても、まったく不思議はないのだ。
アタマでつくり出してしまった状況を、アタマだけで考えて解消することはできない。
感情をしっかり感じてリセットする。
それこそが、すべてにとっての最善の一手となる。
感想
自然の法則に触れ、人生にこのような構造があるのかと驚いた。
正直なところ、この法則が真実であるという確信はまだ持てていない。
ただ、人はBe-Do-Haveの順で内側を循環させなければならないことには納得感があった。
振り返ってみれば、私はこれまで行動の結果として生じる感情を、どこかおろそかにしてきたのかもしれない。
特に、イヤな出来事が起きた際、私はできるだけその感情を味わわないようにしていた。
それは、イヤな気持ちがさらなる不幸を引き寄せるという考えがあったからだ。
しかし、本書の内容によれば、不快な感情を未消化のまま放置することこそが、同じトラブルを繰り返す原因であると説かれている。
本書を読み終えた今も、具体的に「感情を感じきる」とはどういう状態を指すのか、完全には理解できていない。
しかし、過去の印象的な出来事に付随する感情を丁寧に探ってみたことで、これまで気づいていなかった「本当の自分(本音)」の断片に触れられたような気がしている。
それと同時に、私は過去の辛い体験から自分を守るために、知らず知らずのうちに自分の本音を歪めてしまっていたのだと思う。
これまで私は、無意識のうちに「内向的な自分を守る」という条件(Have:困らないためには、傷つかないためには)から出発して、あり方を探していた。
しかし、これは「Have-Do-Be」のサイクルであり、不安や恐怖を動機とした「取引や建前」の行動であったことに気づいた。
私が設けていた「自分を守る」という条件は、まさに「から騒ぎ劇場」の台本のようなもので、その枠内では本当の自分の声(本音)をキャッチすることができない。
「理想的な自分」を目指す苦しい生き方をやめ、「望ましくない自分」さえも「ある」と認めていくことが、純粋な「やってみよう」というエネルギーの源泉である本音(Be)の探求のはじまりを意味していると感じている。






